たまには読書

2011年10月15日 (土)

バッハ=魂のエヴァンゲリスト 

礒山雅先生が、御歳39歳の時に初めて出版されたという
表題の本が昨年講談社学術文庫より文庫版で
放出されまして。

途中、別の本読んだりいろいろしながら(爆)
ようやく先ほど読み終えました。

いやぁ、時間かかった!


面白いんだけれど。


やっぱり書かれている対象の音楽の「音」が
わからないところで面々とその音楽のことが
記載されていると、なんもわからんで
眠くなるというか、なんというか。


磯山先生、ごめんなさい(爆)

でも面白かったです。


なんか、いっぱいいろんなところに赤線引きたくなる感じ(笑)
実際には引かなかったけれど。
どうも、私は本に直接なにかを書き込むという作業に
抵抗があるんだよね。
それが教科書だと話は別なのだけれど。
一応これ、教科書ではないわけで。。。


自分への備忘録として、
今、自分がこの本に挟み込んでいる紙片のあるページを
ちょっと羅列させて頂きます。

P163
P246
P294


P163 へ至るまでにもいろいろ紙切れ挟んでたのですが
長く持ち歩き続けて紙切れ紛失した次第。。。


とりあえず、個人的に一番面白かったのは
痛烈な(?)シャイベというバッハと同時代に
生きていた人物のバッハ批判のくだり。


シャイベと異なり、私はバッハを批判はしない。
むしろ、シャイベが指摘し、批判した部分こそが
バッハの音楽や世界の美しさにあると思っているのだけれど、
いやぁ、なんて見事にバッハの音楽を
ある意味、言い当てているんだろうかと。


シャイベ、面白い!


このシャイベという人物、
フルネームをヨハン・アードルフ・シャイベというらしい。
そしてバッハが試験官の一人を務めた
トーマス教会のオルガニスト採用試験に応募し、
落とされちゃった人らしい。


少なからず私怨も持っていたのが結果「批判」
へ繋がったのかしらん?
とも思えなくもないのだけれど、きっとそれ以上に
本当はバッハに嫉妬していたんだろうなぁと思う。
あくまで個人的な意見だけれどね。

バッハの才能や音楽性に羨望しつつ、
受け入れられなかったことの悔しさから
当時勃興し始めた優美主義とは真逆を
行っているように思われるバッハの音楽を
「こんなものは時代錯誤で流行らない」と
一蹴しようとした面もあるんじゃないかしら、
なーどと思ってしまうわけです。


まぁそんな個人的感想はともかくとして、
面白かったです。
最近少しずつ気づき始めていた
譜面から読み解くものの一つが
はっきりと形を成して、その意味を
教えてくれる本でもありました。


バッハ好きでまだ読んだことが無い方は
ぜひ一度手にってみてくださいませ。

文庫なので、お値段控えめの
\1,100です。
その価値は十二分にありますです。はい。


2010年10月24日 (日)

「恋するフェルメール」

読書コーナーにするか、日記コーナーにするか、
悩みつつ一応読書コーナーへupしてみることにしてみました、
「恋するフェルメール」by有吉玉青、現在読み進めている本。



これは、「エッセイ」というカテゴリーに分類される著書らしい。

正直なところ私はエッセイがなんであるのか、
はっきりと説明できるほど「エッセイ」がわからない。


内容は、著者がフェルメール作品に大恋愛というより
彼らを心底愛して、その愛ゆえに彼の作品37作品を
訪ね歩く、、、というもの。
でも、紀行文でもない(笑)。


必ずしも旅していないし、彼女の日常というか、
半生のようなものもつづられている。



個人的に、私はフェルメールはさほど好きでない。
好きな作品もいくつかあるし、多くの人が崇高しているであろう
「真珠の耳飾りの少女」などは大好きだけれど、
以前にも書いたけれど神戸で出会ったフェルメールの「恋文」を
観て、がっかりした人である。


なんだぁ、チラシの方が素敵に観えるわ。。。。と。


むしろギュスターヴ・モローの作品の方が魅力的だわ、と。


でもこの本はなんとなく、久しぶりに立ち寄った書店で
手に取り、なんとなく購入してみた。



しかし、読んでいると著者に共感するところが多くて多くて
こういう類の本にしては珍しく私はサクサク読み進めている。



著者は結婚を機にご主人の仕事の都合でアメリカに住む。
本は、そこで初めて出逢ったフェルメールが彼女が
フェルメールを愛していく切っ掛けだったのだけれど、
その時のエピソードはフェルメールの作品にとどまらず
彼女が初めて異国で生活することになったときの体験、
感じたことなどなども綴られている。

彼女がアメリカに初めて居を構えた頃、
私もまた父の仕事の都合でシドニーに初めて住んだ。
初めての、海外。
そしてそこでの生活。

振り返れば楽しいことの方が圧倒的に多い幸せな時期だったけれど
そこで生活を営んだが故に苦労したことも、
挫折感や絶望感を味わったことも、
あのまま日本にいれば味わうことのなかった悔しさもあった。

彼女の体験記は、私のそれにも少なからず似ていて、
そうそう、そいういうこと、あった!

と、共感できてしまう(笑)。



彼女のフェルメールへの愛や美術品に対する態度も
なんとなく、共通する。

いや、フェルメール自体は、残念ながら私はそこまで愛していない。
けれど、私が愛するほかのもの、、、
例えば、三銃士やオペラ座の怪人、ヴァイオリニストの長原幸太さんへの愛とまったくもって共通するのだ。


そう、彼女の著書を読みながら、私はやっぱりこれらの作品や人に恋をしていたのだと再認識した。


あぁ、語弊のないようにいっておくけれど、
これは普通の「恋」じゃないので(笑)。
偶にこう書くと特に長原さんに関しては「彼は妻帯者だよ」と
私に言ってくる人がいるけれど、そういうんじゃない。
永遠の崇高的な愛であってそれは不朽で不滅で不変なのだ。
「惚れたはれた」の世俗的なものではないのだ。


特に185ページ、初めてフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が
大阪にやってきて、それ故に巷ではフェルメールが爆発的
人気を誇り、彼のことを知る人が増えたくだりで彼女が書いた
内容はまったくもって私の幸太さんへの愛と同じ(笑)。

著者はフェルメールの素晴らしさを伝えたくて、私は幸太さんの
素晴らしさを伝えたくて、友人知人に熱く、熱く、その素晴らしさを語る。

語るだけではその素晴らしさの1/100も伝わらない気がして
彼女は画集を見せたり、実際に展覧会などを薦め
私は幸太さんの生の音を聴いてもらいたくて演奏会を薦める。


著者がフェルメールの「ひかり」や「あお」を語るように、
私も幸太さんのヴァイオリンを語る。
ね、ね、素敵でしょう、素晴らしいでしょう。
そりゃあなた、技巧だけなら世界は広いのだから
彼よりも巧いヴァイオリニストはいるでしょう。
けれどこの音色は世界でただ一人、幸太さんにしか出せない、
幸太さんにしか表現できない音なんですよ。と。
フェルメール・ブルーがあるように、幸太サウンドがあるのです。



でも何かの切っ掛けでそれまでより愛した人がメジャーになる。

テレビなどのメディアに出てくる。


と、嬉しいのに、寂しいかったりする。


あぁ、もう「みんなのフェルメール」、「みんなの幸太さん」なのね、と。



展覧会などで偶然知り合った方と、「あなたもフェルメールラバーでしたか!」
と、出逢えたことに喜びを得て、愛している人がほかにもいると嬉しくなっていた
時期を通り超えてしまう、あの一抹の寂しさ。



著者が作品を前にしてしまうと寡黙になってしまう、
語る愛が陳腐に思え、表現すべき言葉が見つからず、
ただどきどきして立ちすくんでしまったくだりなんかも、
私がピアジュリアンに行くようになって間もないころに
初めて幸太さんと対面し、言葉を交わした時のよう(笑)。


あのときはひたすら緊張して、どきどきして、
目が回りそうだった(笑)。
こんなにも幸太さんのヴァイオリンが好きなんですって、
いつもいつも幸せな時間をありがとうございますって、
それさえ伝えることができなかった。



著者と私は、愛する対象こそ違うけれど、すごく似ている、、、
などと言ったらもしかしたら著者に失礼なのかもしれないけれど(笑)。


でも、共感することが本当に多くて、まるで気の合う
友人を得たような気分。


そして彼女が語るフェルメールが少しずつ、好きになってくる(笑)。


だって、きっと彼女はこの本を書き、フェルメールへの愛を綴る間
ずっと瞳をきらきらさせ、口角を上げて幸せな気持ちでいたに違いなく。
そういう気持ちというのは、自ずと伝染しちゃうんだから。



なにかを偏愛的(?)に愛したことがある人ならば、
きっとフェルメールそのものに興味がなくても
この本には共感できるはず。
そしてきっと読んでいるうちにフェルメールが好きになる。


私もまだ読み終えてはいませんが、まわりにお薦めしたくなる一冊です。


あ、ちなみに講談社文庫から出版されていま~す。


書店で見かけた方はぜひぜひ一度手にとってみてください♪






2010年8月16日 (月)

「そうか、もう君はいないのか」

城山三郎氏の遺稿となった手記、

「そうか、もう君はいないのか」

しばらく前にドラマ化されてましたよね、
田村正和氏主演で。


ドラマは最初と最後の方をちらっと見ただけで
何故か間を見ていないのだけれど(なんでだったんだ??)


その時の、ドラマの最後のセリフでもあり、
手記のタイトルでもある「そうか、もう君はいないのか」。


亡くなった伴侶への愛情が滲み出ているその言葉に
自然と涙が流れてきて、ずっと本を読みたいと思っていた。


でも、だからといって数年後には確実に文庫になるであろう
当時出版されていたハードカヴァーを買う気にはなれなかった。




で、待ちに待った表題タイトルの本が、文庫に降りてきていたので購入。



文字も大きく、ページ数も少なく、小説タッチのその手記は
読むのが遅い私にも比較的短時間で読めました。




「そうか、もう君はいないのか」



とは、著者、城山三郎氏が最愛の奥様を亡くされて、
それでもふとした折に「おい」と愛する妻に語りかけ、
返事のないその空間に愛妻がいないことを思い知らされる。

それでいてなおも「そうか、もう君はいないのか、」

と、奥様に語りかけていることば。



それほどまでに強い絆で結ばれ、
いつも伴侶として傍にいるはずの相手。


残された城山さんの胸中を思うと苦しくて苦しくて仕方ない。


「五十億の中で ただ一人『おい』と呼べるおまえ」


とは、城山氏が奥様を題材にした一片の詩の中で
描いた一節。


「おい」という呼びかけにこれほどの愛情を垣間見ることが
できるものが他にあるだろうか。


恋も、愛も、ともすれば結婚もその生活さえも、
ファストフード的になっている現代。

「伴侶」って、こういうことを、こういう間柄を、
こういう絆をいうんだろうなと、いろんな意味で
涙を止めることができない本でした。


そして、あとがきのような形で寄せられている
城山氏の次女の手記と共に、多くの方に読んでもらえればと、改めて思う本でした。

2009年11月27日 (金)

のだめ最終巻でしたね。

ども。


漫画を読書欄に加えていいのか悩みつつ。


しばしの復活をしてみました。
だって、のだめが最終刊だったんだもん・・・。
多分、ときどき、思い出したようにちょろっと更新するかも??
ついでに、地味ーにいろいろ手を加えようとか
企んでたりもするんですけどね。
ふふわははははははは。

ま、それはおいておいて。



「次で最後」と聞いた後で、
コミックスはまだもう一冊出るはず、、、
とかいう噂も聞いており。


どっちなんだ?!



と、思いつつ心待ちにしていた23巻。


やっぱ最終巻でした。



いや、総括していうと、個人的にはいい漫画に出逢えたなーっと。


基本的にコミックスって滅多に買わないし、
周囲から比較すると、漫画を読むことも少ない方な私ですが。
のだめは実に10年ぶりぐらいの勢いで買い始めた漫画でした。
(確か、最後に買った漫画は"MIND ASSASSIN"byかずはじめ・・・・)

まぁ、永久不動の私のベスト漫画は成田美名子女史の
"CIPHER" とそれに続く "ALEXANDRITE"なんですが。
のだめはその次に来るかな。


最終巻、エジプト放浪終えて寝過ごしてブリュッセル行っちゃって
千秋先輩を想ってるのだめとか


ようやくパリに帰ってきてベトヴェン弾いてるのだめの音を
聴いて、千秋先輩の頬を涙が伝ったところとか。

かなりうるうるきました。

それでも泣くところまでいかなかったのは
ある意味のだめだからか??


やっぱり音楽はたのしまなくっちゃね。


「楽しい音楽の時間デスよ。」


これってすごいキーワードだ。
時々、忘れそうになっている自分が
音楽を見失わないでいられる言葉。
単純なヒトコトなのに、毎回見る度に
ぐさっと心に突き刺さるというか。
はっとさせられる。



さー、最終巻も出ちゃったし!!!!

未購入の1~8巻を近日中に大人買いして
シリーズをきっちり揃えなくっちゃ♪
(↑1~8までは友達に借りて読んで、
   次貸してもらうのが待ちきれなくなって9巻から
  先その当時出ていた分を大人買いした)


あ、でも最後にもいっかい峰くんたちに出てきて
欲しかったなー。

R☆Sオケ、もっかい楽しみたい(笑)。

久々にサントラもきいちゃおっかな♪

2009年10月18日 (日)

『夜は短し歩けよ乙女』

ばーい、森見登美彦。



先般、職場の同僚に白州次郎-占領を背負った男-を
お貸ししたところ、KANONさんが好きそうだから、、、
といって、彼女が本を返してくれたときに貸してくれたのが
これ。

『夜は短し歩けよ乙女』

あーーー。


何年か前に話題になってたやつよね。
確か。
本屋で平積みになっていたのに、見覚えがあるわ。


貸してくれた友人いわく

「なんかね、『のだめ』みたいで面白いですよ」



読んだ感想は、確かに主人公の一人である乙女は
不思議ちゃんパワー全開だったけれど、
のだめとはちょっと違うと思うぞー(笑)。


で、これを先般の信州遠征の時の往復の友としました。
もっとも、帰りは前日午前3時まで飲み明かしていた
影響をモロに受け、社内では髪がぐしゃぐしゃになるのも
お構いなしにひたすら寝てたんだけれど(爆)。


で、まぁ今し方ようやく読み終えたわけですが。


面白かった(笑)。


内容もそれなりに面白いけれど、文体っていうのかな、
文章の作り方とか、表現とか。
日本語って、面白い。


それで、ふと気がついた。


私ってば本当に日本人の作家が書いた日本語の
小説をほっとんど読んでいない。
何しろ夏目漱石も読んだことがないくらいだし。


ダメだなー。

やっぱり日本の本も読まないと。
(私の読書歴は新潮社の海外文学の翻訳本と藤本ひとみで構成されている)



まぁそれはおいておきまして。



この本も、主人公たる乙女と先輩は
「黒髪の乙女」と「先輩」という文字でしか表現されず、
名前がついにわからなかった(笑)。
何年か前に小川洋子女史の『博士の愛した数式』を
読んだときも主人公の女性とその息子の名前が
最後まで出てこなかったけれど。

こういうの、多いんだろうか?

個人的には物珍しく思えるんだけれど。



物語は「黒髪の乙女」に恋煩いな「先輩」と、
そんな「先輩」が必死に彼女の心の外堀を埋めているのに
そうとは気付かないまま先輩を翻弄する「黒髪の乙女」
とが交互に一つのお話を語っていく感じ。

現実的な内容と、完全にファンタジーの内容とが
交錯していてそれはそれでまた面白い。



で、目下、実は「気になっている人」がいる自分としては
この「先輩」に激しく共感(苦笑)。


特に物語り最終章、264ページの

「いったい私に彼女の何が分かっているというのか。
  焼け焦げるほど見つめ続けた後頭部のほか、何一つ分かっていないと言っても過言ではない。
  それなのに、なにゆえ惚れたというのか。
  根拠が不明瞭である。」


と、恋に恋している可能性に苛まれつつ、悩むわけだ。



そーなのよ。


私もいったい何故惚れているのかわからんのよ。

だって、あんまり相手のこと知らないし。
どこに惚れるポイントがあったのかさえ不明瞭。

気になる人が気になるから、婚活も小休止。
電車の網棚に上げたままにしているわけよ、実は。
それを忘れ物センターまで問い合わせて
受け取りに行くかどうするか、悩んでる訳よ、最近。



「先輩」よろしく頑張って外堀を埋めていく、
地道な努力ができるタイプでもないので。


ともすれば、外堀埋めるのを放棄して
空から本丸を狙いたくなるわけ。


でも、物語の中の「先輩」はかなり迂遠なやり方とはいえ、
かなり必死に外堀を埋めて埋めて、埋め続けて、
最後には彼女との共通の知人の快気祝いを理由に
喫茶店で待ち合わせをして、初デートとなるわけです。

待ち合わせの喫茶店に姿を現した「黒髪の乙女」
を見た先輩が

「この記念すべき瞬間をもって、私は外堀を埋めることを止め、
  さらに困難な課題へと挑む人間となった。
  - 中略 -
  さらば、外堀を埋める日々-。

  締めくくりにあたって、一つ言葉を贈っておく。
  人事を尽くして、天命をまて。」



・・・・・・・。




はいっ。



そうします。



私も「先輩」見習って、外堀埋めることに精を出してみます。
いきなり本丸狙うなんていう不埒なやり方は慎みます。


人生は短し、恋せよ乙女!
(↑だから、乙女って歳ぢゃねーっ)


というわけで、自分的には実にタイムリーな読み物でした。まる。





2009年4月 2日 (木)

読破・『聖戦ヴァンデ』

ということで。


読み終わりました、聖戦ヴァンデby例によって(笑)藤本ひとみ。



革命とはなんであったのか。


人の信じるものって?
生きる価値と意味って?


いろいろと考えさせられながら、
とりあえず私的にはアンリ・デュ・ヴェルジェ・ドゥ・ラ・ロシュジャクラン
(ヴァンデ放棄軍第三代最高司令官)と
ニコラ・ラザール・オッシュ(元アンリの副官にして共和国軍の
西部方面軍最高責任者)の友情が!!!!!


もぉ涙なしには読めませんでした。



切ないよぉーっ。



出生と、故に立場こそ違うけれど。


というか、革命によって二人の進む道は
分断されてしまったけれど。


二人とも、素晴らしい友情で結ばれていたのに。


なんか、マルク・アントワーヌ・ジュリアン(ロベスピエールの目と
称された少年)によってあんなにも掻き毟られて。


アンリを待つ運命の非業さを知っているだけに、
ページを繰る度に物語に惹きこまれながらも
なんか切なくて、苦しくて!



云ってもどうせ通じないだろうとは思いつつ、
それでも職場の隣のデスクの純粋な島人(しまんちゅ)の
後輩君に

「今読んでる本がね。
  かくかくしかじかで面白いんだけれど、切なくてやりきれないんだよ」


と、云ったらば。


予想通りに爆笑された上に

「感情移入のしすぎですやん!」


と、一蹴されてしまいました。。。



キミねぇ!!!!!!


キミには人のココロってもんがないのかーっ!!


小説ってのは感情移入するためにあるんだーっ!


まぁ、確かに私はいささか入り込み過ぎるきらいはあるけど。


昔は、本を読んだ後数週間は小説の中の人物達の
言葉遣いが移ったもんです。えぇ。



それにしても。


アンリの最期も切なかったけれど。

ニコルも、結局のところ若くして毒殺されてしまってたのね。

あぁ、なんか、やっぱりやりきれない。


えー、なんだろう。
ベル薔薇とはまた全然違う、もっと残酷というか、
エグいというか。
もっとずっと暗澹たるフランス革命を覗いてみたい方は
どうぞ『聖戦ヴァンデ』を手に取ってみてください。

この本って、まだハードカヴァーだけなのかな?


年数的にはもうそろそろ文庫に降りてきそうな
気もするけどなぁ。




さて。



話題は変わりまして、若干日付がかわってしまいましたが
今日はエイプリル・フールでした。


私は二人の人にまんまと騙されました。



ひとりというか、ひとつはmixiで参加している
ドイツ語のコミュ。



携帯からmixiチェックしたら、コミュに新しいトピが
立っていて、「ロンゴロンゴ語」って書いてありました。




ろ、、、、ロンゴロンゴ語?!



なんじゃ、そりゃ??



ドイツの、とある地方の方言か?!


実はゲルマン以来の古語か?!



とか思いつつ、同じコミュの別のトピックスに
Heute ist!の文字。


Heute ist = 今日は


今日、、、今日は、エイプリルフールだーーーっ!!


ってことで気がつきました。


そーいえば、去年もこのコミュの管理人さんに
おもっきし騙されたのよ(笑)。


入った覚えのない「ノルド語」とかいうコミュが
自分の参加コミュにあって。

なんじゃそりゃ??


って思ってたら、一日限定で元々はドイツ語コミュでした。


今年もしっかりひっかかかったけれど、
こういう嘘は好きよん(笑)。



もう一人も、毎年mixi日記で「嘘日記」を書く
我が戦友。


日記の途中で「唐突ですが、結婚しようと思います」


うぉーっ。



いきなり結婚宣言?!


まぁ、この前電話で喋ってたときにそれっぽい
ことは言ってたけど!


本当に結婚決めたんだっ?!


わーお、おめでとーーーーっ!!!



とか思って読み進めると
「今日はエイプリルフールですよ」
の、文字。



なんでぇ、嘘かよ?



とか思ってたら、さらに下のほーに

「でも、エイプリルフールでもホントのこと言っても
  いいんですよね」



って!!!!!


なんか、一つの日記に2度も騙されたわっ!!!


でも、こちらもなんかオメデタイし!!

こういう風に騙されるのは楽しいから、いいわっ。




しかし、これで彼が結婚すると、学生時代の
合唱仲間の同期で未婚は、、、、、。




考えるの、やめよ(笑)。





2009年3月21日 (土)

『聖戦ヴァンデ』

またまた藤本ひとみの著作です。
しかも、かれこれ10年ぐらい前の出版。

さらに言えば、この年、この本がハードカヴァーで
発売されて、私は上下巻を即刻ご購入。


そこで藤本ひとみサイン会の情報入手。


当時はまだまだできたてホヤホヤ感のあった
新宿高島屋併設のえーと、、紀伊国屋??
別の本屋かな??

まぁ、とにかくその本屋主催のサイン会へ
感動で胸いっぱいになりながら行って、
直接ひとみ先生と言葉をかわし、握手してもらい、
本に名前も書いてもらい、サインを頂き、
感動の絶頂の中、たまたま居合わせた
初対面のひとみファンの主婦の方と意気投合。
サイン会の後はカフェへ場所を移し、
3時間ぐらいひとみトークしてました。


そんなひとみ中毒真っ只中の時に買った本なのに、
何故か私は下巻の、クライマックスまであと数ページって
ところで読むのを放棄して幾星霜。。。。


この度、平成9年2月に発刊された本を改めて手にとって
読み始めています。
もちろん、最初のページから(笑)。


今、読み返してみると、なんで途中放棄したのか
わからないけれど。
予測するに、フランス革命勃発直後の、
革命派と、反革命派との思想のぶつかり合いや
あまりにも多すぎる登場人物に、疲れたんだと思う。


だって、当時の私はロベスピエールっていば
名前ぐらいは聞き覚えがあるけど。。。

って程度で。


もちろん、マルク・アントワーヌ・ジュリアンなんて、
架空の人物かと勘違いしそうな勢いで。

当時の議会の流れも、王政のあり方も、
ぜんぜん解ってなかったわけで(←今も完全に
理解しているとは言い難いが・汗)。


それで、多分、ヴァンデ戦にたどり着くまでに
知恵熱出したんだと思ふ(←をいをい)。




ずぅ~~~~っと、最後まで読んでいないということが
気になりつつ、なかなか再読しようという気も起きなかった
この本を、改めて手に取ったのにはやっぱり理由が(笑)。



去年、大フィル合唱団を退団したその日に、練習会場を
後にしたその足で向ったのが難波の本屋さん。

まぁ、人との待ち合わせもあって、そこに行ったのですが。

時間潰しをかねて藤本ひとみの著作を漁りに本棚へ。


で、『マリー・アントワネットの娘』というエッセイを見つけました。


あ、いや、正確には前からそういうタイトルの本があるっていうのは
認識していながら、未だ買ってなかった。


エッセイは、苦手系なので避けて通る節があったんだけれど、
ちょいと立ち読みしたら、やっぱり面白かった(笑)。

で、ご購入。


その本も実に興味深く面白かったんだけれど、
そのエッセイの中で藤本ひとみがいつか古都や古城に
関するエッセイも出したいと書いていた。



そしたら、タイムリーなことに、その本を読み終えた直後
ぐらいに新聞で新刊の案内を発見。


まさに、彼女が書きたいといっていた本で
『華麗なる古都と古城を訪ねて』(中公文庫より)。


先の『マリー・アントワネットの娘』に収録されていた
王妃マルゴの話なんかともシンクロしていて、
すごい面白かった。

その、『華麗なる古都と古城を訪ねて』の中で
彼女が紹介していた古都や古城にゆかりのある
人物として紹介されていたのが、美貌の貴族、
アンリ・ドゥ・ラ・ロシュジャクラン。

今読んでいる『聖戦ヴァンデ』の主人公の一人。

革命下のフランスにおいて、王家を守るべく戦った
貴族で、美しい青年で、革命派の人民がなだれ込み、
血の海と化したチュイルリー宮殿から血路を開き、
故郷に戻り、カトリック王党軍の一人として戦い、
若くして戦士した男性。



で、改めてどんな話だったのかが気になって気になって(笑)。


読み始めたらやっぱり面白い。




今はロベスピエールやジュリアンは当然だけれど、
ジロンド派の議員やロラン夫人、スタール夫人も、
何者であったのかがアバウトとはいえわかるから
理解しやすいし(笑)。


今回は、最後までちゃんと読めると思ふ(笑)。








今日、たまたま本の話をしていて。
ある人が自分は明治維新のころの話が好きで
時々本を読むと言っていた。

私も、基本的には興味関心のない日本史も
幕末は結構好きで、司馬遼太郎の『燃えよ剣』
も『聖戦ヴァンデ』と同じく(笑)残すところ
数ページでクライマックスってところまで読んだ。
後にも先にも、日本史に関わっている本は
これしか読んだことないけど。。。。。




私はフランスものを読むことが多いけれど、
一つの時代が劇的に移り変わる時代は好き。


多分、そういう時代に多いのは己の思想や信念、
それこそ今『天地人』で上杉謙信が云っていたような
『儀』を貫く人が多くて、その為に人生を投げ打つ
人々が居たからなんだと思う。


今は政治家にさえそんな確固たるなにかを持っている
ような人って滅多にいないもんねぇ。



『聖戦ヴァンデ』、己の信じるものを護るために戦う
アンリの姿を、今回は最後まで読みたいと思います。

2008年12月22日 (月)

『シャネル』


ばーい、藤本ひとみ。


例によって、人様からお借りしている本をそっちのけで
先に読んでしまいました。

しばらく前に単行本で出てた本の文庫版です。


シャネル - 世界広しといえども、近代的な発展を遂げた
国でシャネルというブランドの名前を知らない人は、
きっといないに違いないと思えるほど、
誰でも知っている超・有名ブランド、シャネル。

全世界の女性の憧れ、、、なのかもしれない、シャネル。

”ココ”の愛称を持ったガブリエル・シャネルの一代記。



因みに、私はシャネルの服やバッグは好きくない。

なんか、あまり惹かれるものがない。

でも、やっぱり憧れだけはあって化粧品を使ったことが。

んが。


成人式のヘアメイクでシャネルの口紅を使われたくちびるは、
その日、家へ帰る頃までに水ぶくれができて、
1週間近く、ひどいめにあった。

数年後、口紅はダメでもアイシャドウくらいなら。。。

と、思って購入した憧れのシャネル。

使い始めて約1週間で、まぶたの皮がむけた。。。。


なんて恐ろしいシャネル!!!!!!



それ以来、怖くてシャネルには近寄らないようにしつつ
私には縁が一切無いと思っていたそのブランドの
創始者の物語。


すごい面白かった!!!!!




孤児として幼少期を送り、お針子になり、
フランスはムーランという田舎町で酒場歌手を経て
富豪の愛人へ。

その後、帽子屋から始まった彼女のクチュリエールとしての軌跡。



敷かれていたはずのレールを覆し、人生を操縦し、それを統べる。



すごい女性でした。



ちょっと、ガブリエル・シャネルに惚れるかも。


めちゃくちゃカッコいい。


常に自分は何者かを問いただして生きていく。


そんな彼女はまた、愛した男性たちとは自分の出自故に
一度も「結婚」という形で結ばれず、苦しむ一人の女性でもあり。



運命の女神は、彼女のクチュリエールとしての才能には
微笑みかけ、味方したけれど。
ついぞ女性として望んだ幸せの形は与えなかった。



運命って、なんだろう。


人の幸せって、なんだろうって。


少し考えさせられながら。

でも、挑戦することの意義や大切さを実感する本。


読んで、自分も自分の才能を信じ、それに賭け
挑戦する人もいれば、
読んだだけで尻尾まいておとなしくなる人もいるだろうなぁ。

ちなみに、私はどちらかといえば後者ですが(苦笑)。



多分、世に跋扈しているしょうもない「人生に勝つ」
的なハウ・トゥー本読むより、よっぽど有意義だと思います。


蛇足ですが、先般電車の中でその手のハウ・トゥー本を
熱心に読みふけっている中年オヤジをみかけました。

世の中に数ある思わず引いてしまう光景のうちの、
かなり上位にくるのが、コレ。


自分自身の人生哲学で生き抜いてみろよ、オッサン!!


と、発破かけたくなる。


「頼られる上司になるための本」みたいなタイトルだったかと
思うけれど。


そんなもん読まなきゃ頼りにならない程度なら、
役職なんかに就くな!!!と、言いたくなる。


ま、それはさておきまして。


興味のある方は『シャネル』を是非書店で手にとってみてください。
講談社文庫からで、一冊¥648と比較的お手頃価格です。


本の326ページ、シャネルと彼女の親友ミシアのやりとりが
今日の私にはとても印象に残っていて、ミシアのセリフがこれ。

「おあいにく様。親友とは、歯に衣着せずに物を言う
 人間のことよ。ニーチェも言ってるわ。
 友への情は、かめば歯が折れるほどの硬い殻の中に
 隠しておくのがいいってね。」


幸い、私には歯に衣着せずに真理だけを
ガツンと言ってくれる、素晴らしい友人が数名いる。

でも、私はどうだろう??


自分の大切な友に、歯に衣着せずに真理を
伝えてあげられているだろうか?

友人が悩んだり、迷ったりしているときには
なんとか励まそうと、逆のことをしているのでは??

いろいろと、考えさせられる本でした。まる。


2008年10月28日 (火)

『ブーリン家の姉妹』 上・下

もうとっくに公開されてるんだと、勝手に思っていた
「ブーリン家の姉妹」。

実は先週の土曜日に公開だったんですね。。。


映画には興味あるけれど、映画って高いしなぁ。
どうせお金使うなら、宮廷画家ゴヤの方が
いいよなぁ。。。(でも、ゴヤも観に行かないけど)
って思って。


あと、ストレス発散もかねて??

しばらく前に買って読みました、
「ブーリン家の姉妹 上・下」。

翻訳本は、集英社文庫から発売されてます☆

因みに、原題は
"THE OTHER BOLEYN GIRL"
らしい。


確かに、本はメアリー・ブーリンという女性の
視点に立って描かれている。

ちなみに、彼女の姉のアン・ブーリンは
かの有名なエリザベスⅠ世の母で、
ロンドン塔で今でも幽霊になって徘徊してる人
(↑をいをい)。


アン・ブーリンを知らない人はいないであろう
イギリスとかでは原題はとってもしっくりといか、
多分、興味を惹かれるタイトルなんだろうけれど。

内容的には、邦語訳の「ブーリン家の姉妹」が
どんぴしゃだと、個人的には思う。

で、その、アンじゃない方の、もう一人の
ブーリン家の娘が主人公のメアリー。

彼女はアンより前にヘンリー8世の愛人とり、
本の中では彼の庶子を二人も身ごもっている。

で、二人目の妊娠中及び出産直後に
彼女との性行為を持てなかったヘンリー8世が
彼女の替え玉として??
狙いをつけたのが彼女の姉、アン・ブーリン。

ついでに、ブーリンの家の方でも
王の寵愛をメアリーに、、、、というよりは
ブーリン家に繋ぎとめるために、
アンにヘンリー8世を魅了するように指示をだし、
これに応えてアンは魅了するだけではすまず、
ついに妃であったキャサリン・オブ・アラゴンを
宮廷から追い出し、追い落とし、ヘンリーとの
結婚を無効(!!!)にして、
自分がイングランド王妃として君臨。
もちろん、自分より先に王の愛人であった
妹にもあんまり情け容赦はなくって、
平気で彼女を自分の侍女にしてしまう
辣腕ぶりっ。


いやぁ、もぉ、その手腕(??)たるや、
あっぱれ!!!

って感じ。


アタマの切れる女はコワイねーっ。



で、彼女が王妃の冠にお向けて爆走し、
かつ、王の愛を手玉にとって、手のひらで
転がしている間はただただ驚嘆するばかり
だったけれど。


彼女自身も身ごもり(それが後のエリザベスⅠ世)、
やっぱりメアリーの時と同じ理由で
他に移り気になった王との間に秋風か漂い始め。


それでも、勝気なアンが爆走していく姿は
本当に自滅にむかってひた走っている感じで
哀れみの方が強くなってくる。

もぉ、なんつーかね。


口は災いの元っていうんだよ!!

ねぇ、流石にいくら恋人同士でも、
その言葉ってないと思うよ??


って感じのことが多くて。


何度、アンの口を糸で縫いたくなったことか(笑)。



権力と、煌びやかな宮廷生活に固執し、
頂点を目指すことだけを考えていたアンとは
とっても対照的だったメアリー。

彼女は子どもを出産してからは
子どもたちから引き離される宮廷生活に苦痛を感じ、
また、王の寵愛が姉に向かい、さらには
彼女を心から慕ってくれる男性が現れると、
彼と共に田舎暮らしをしてチーズを作ったり
鶏をかっさばいたり。

それはそれである意味すごい。


ついでに、そこにメアリーとアンの実兄である
ジョージ・ブーリン(同性愛+近親相姦)が
加わって、、、



物語は、悲劇へ驀進。



アンとジョージはロンドン塔へ幽閉の後、
断頭台の露となってしまう。



それを、見つめているのがメアリー。



そんなメアリーの視点からみた
複雑に絡み合った人間の心理と
それがもたらす深淵とを、ちょっとのぞいてみたい人。

是非、書店へ行かれてください。


映画を観てないので、なんともいえないけれど。

多分、本の方が密度濃いと思うんだよね。


でも、映画も観たいというか。

原作が結構好きになってしまったので。


そのうちDVDになるのを首を長くして待つことに
したいと思います。




あと、蛇足??ですが。


邦語版のこの小説、上下巻に分かれてる
わけですが。

表紙になっているのが、映画からの映像。

一つのカットに、メアリーが手前で
アンが奥に写っている。

そして、物語はあくまでメアリーの視点から
進んでいくのに、上巻の表紙がアンだって
ところも面白いとおもふ。

ふふふふふ。








2008年10月26日 (日)

『皇妃エリザベート』

女性なら、きっと知っている人の方が多いと
勝手に思っている、かの有名な
オーストリア皇妃で絶世の美女と歌われた
エリザベート。

ミュージカルなんかも日本でもヒットしたし。
私も本場ウィーンで観ちゃったよ。
ドイツ語なんてまるでって言っても過言じゃないくらい
わかってないのに。
それでも、観たかった。
だって、エリザベートだもん。


で、彼女の人生を辿った物語を、先日私が
溺愛している小説家・藤本ひとみ女史が
ハードカヴァーで出版。


エリザベートも、藤本ひとみも、ダブルで
大好きなので、思い切って買いました。
ハードカヴァー。
一冊¥1800は決してお財布にはやさしくなかったけど。
悪い買い物ではなかったっす。


んで、今日、読み終わったのですが。。。



最後に描かれたフランツ・ヨーゼフが
痛々しくて、切なくて、哀しかった。。。。



愛情って、どうしてこうもなかなか
相手に伝わなかったり、
すれ違ったりしてしまうんだろう。

きちんとに相手に届けば、
みんながハッピーになれるのに。


本の中の彼女は、確固たる愛情を求め、
心の安らぎを求め、探し続けて彷徨ってました。

彼女の夫であるフランツ・ヨーゼフも
同じように彼女を愛していたのに。
同じように、彼女を求めていたのに。

少しの考え方や感じ方、捉え方の違いが
二人に無理解や誤解を生ませ、
交わるはずの糸が、なかなか絡まない。


フランツ・ヨーゼフの母・ゾフィーも、
彼女たちの息子である皇太子ルドルフも、
結局のところ、みんな手に入れたかったものは
愛情なのに。


ところで、今回、私は自分がオーストリアを
旅行して以来、多分お初でオーストリアが舞台の
小説を読みました。


以前から、これまた藤本ひとみで『ハプスブルクの宝剣』、
『ウィーンの密使』などなど読んでいたけれど。
ぜーんぶ、オーストリアへ行く前だった。

ので、建物や街の描写をいくら克明に藤本ひとみが
書き記したって、あくまでもアバウトな想像でしか
イメージできなかったわけですが。


今回は、流石にここ数年で気がつけば3回も
シェーンブルンへ行っただけあって、
部屋ごとに付いている「○○の間」っていうの
だけじゃぁどの部屋かわからなくても、
部屋の描写を読めばそれがシェーンブルンの
中のどの部屋なのかがわかるのが面白かった。

やっぱり実体験するのと、読むだけとは違うねっ。

初めてシェーンブルンへ行った時は、
マリア・テレジアが好きだったというグロリエッテへ
行って、「おぉ~~~~、これがグロリエッテか!!!」
と、感激してたけれど。

『皇妃エリザベート』でグロリエッテが出てきたりとかすると
宮殿から、どういう風にフランツ・ヨーゼフがそこへ行ったかとか
その形が皇妃の冠に似ているのだといわれれば、
グロリエッテを思い出して「ふ~~~ん、ああいう形かぁ。。。」
と想像してみたりとかができる。


二人が婚約したというバート・イシュルにも行ったから、
街の描写があればなんとなく、そこにあった
教会や広場、湖を思い出すことができる。


そういうのって、なかなか楽しい。

エリザベートが愛したハンガリーでも、
ブダペストへ行ったから、その風景が
ちゃんと想像できる。


残念なのは、まだマイヤーリンクには
行った事がなかったから、
皇太子ルドルフが帝国を守るため、
両親を守るために自ら命を絶ったと
された場所は相変わらず空想の中。

一度、現実に自分の目で見ていたい。


あと、本を読んでいて改めて気がついたのが
この当時(に、きっと限っていないんだろうけど)の
欧州の皇室・王室って、あっちもこっちも
親戚です!って感じだったのね。。。


エリザベートと、ノイシュヴァンシュタイン城を建てた
狂王ルートヴィヒ2世が仲が良かったらしいというのは
以前、なにかで聞いて知っていたけれど。
二人が又従兄弟だったっていうのは、今回初めて
知ったし。

フランツ・ヨーゼフとシシィ(エリザベート)も
従兄弟同士なら、他にもフツウに従兄弟同士で
結婚している。


結局のところ、家柄の吊り合いばかりを考えると、
だんんだん親戚としか結婚できなくなってくるんだろうか。


血縁者同士で結婚を繰り返したシシィの父の家系・
ヴィッテルスバハでは、この時代になってくると
多くの人が奇人・狂人になっているし、
ハプスブルク家の方だってフランツ・ヨーゼフの
前の皇帝たちは血族婚を繰り返した結果
虚弱体質な子どもやおつむのちょっと弱い子どもが
生まれたと、ウィーンのガイドさんも説明してたし。


ある意味、そういうのも王政・帝政を
滅ぼした要因でもあるんだろうなぁ。。。。

2008年6月 1日 (日)

『新・三銃士』

まだ"catch me if you can"の原書も途中までしか読んでないし。
(とりあえず主人公フランクがフランスの監獄から釈放されたので、
 私の中でなんとなくひと段落してしまって。。。)

この前、合唱団であるおじさまからお借りした
『静物と無生物のあいだ』という、どうやらうちの
大学のセンセイが書いたらしい本もあるのですが。





やっぱり我慢できなくて、ついに読み始めちゃったよ、
『新・三銃士』by藤本ひとみ、原作はもっちろん
我が愛しのアレクサンドル・デュマ!!!!!!!






噂どおり、内容は「ミラディ」の視点にたって
物語が進んでいて、ある意味、新鮮。


まぁでも、今や廃盤となってしまった我が愛しの
講談社文庫から出ていた三銃士全シリーズの
ラスト2巻以外全て読んだ私としては、
いかに藤本ひとみLOVEな私とはいえ、
やっぱり三銃士はもう少し無骨というか、
ちょっとした泥臭さも残した、いかにも「男の冒険浪漫」
みたいな文体の方が性に合う感じで好きではありますが。



そう、『新・三銃士』は上品なのである。


優雅なのである。


どことなく、典雅なのである。


なにしろ、いくら銃士隊に所属し、ルーヴルへもよく出かけていたという
ダルタニャン及び三銃士では、そうそう「舞踏会」や
いかにもな「宮廷文化」の典雅さはそうそう出てこなかった。
確か。

ボナシュウ夫人ことコンスタンスはアンヌ・ドートリッシュ
(ルイ13世のお妃ね。知らない人のために、一応記載)
付きの女官だったから、彼女なんかが出てきたときに
その一部なんかが表現されたりはしたけれど。


基本、パリからカレーの港まで駆け抜けるときも、
ドーヴァーを渡ってからパリまで帰るときも、
彼らは戦っていて、そして訳文は昔ながらのゴツゴツな
訳だから、「優雅」ではなかったのだ。



でも!


話がミラディとなると、ちょっと変わってくるらしい。


彼女はいろんな舞踏会にスパイとして潜入。


もちろん、それらの舞台は煌びやか。


うん、なんか「友をえらばば三銃士」とはちょっと違うわ!


面白いけれど。



だって、デュマの書いた三銃士では、リシュリューは
王妃を破滅へ導かんとする極悪非道人。
冷血で冷淡で、計算深い、恐ろしい人間だけれど。


「新・三銃士」において、彼はひたすらにフランスを
守るため、
王妃をちょっとばかし威してでもイギリスの脅威から
フランスを
守るためにありとあらゆる手段を取って戦う人。


そして、ダルタニャンたちは彼らの計算を狂わせてくれる、
最悪の「猪」(笑)。


うーん、こういう見方もあるのかぁ!


さっすが、リシュリューLOVEな藤本ひとみ!!!


そうきたかぁ!!!!


って感じ。



まだまだ少年編の1/4ぐらいしか読めてませんが
(本読むの、遅いんです。すっごい時間がかかる)。


青年編も楽しみ。


多分、すっごい憶測ですが、青年編もあるってことは
ミラディが死ぬまで物語が続くのだと思うのですよ。


あ、そこのあなた、ミラディが死ぬのをしりませんね?

さては「友をえらばば三銃士」の部分しか読んだことありませんね?

その続きもすっごい面白いのに。


さらにその続きではミラディの息子がダルタニャンたちに
復讐を図るという話もあるのに。


ふふふふふふふ。



私は今でも納得いきません。


講談社が三銃士シリーズを廃盤にしたことが。


あれだけが多分、唯一日本語で全ての物語を読める書物だった
ハズなのに。


というわけで、講談社からの復刊を願ってやみません。


いや、「復刊どっとこむ」から入手可能だったのは知ってるんだけれど。
あれ、文庫じゃなくてハードカバーで全作出版してるから、
全部揃えようとおもうとすっごい高いのよ。

万単位のお金があっさりと飛んでいくのよ。

どんなに愛していても、ちょっとなかなか手が出ないのよ。。。



って、話がそれましたが。




要は、『新・三銃士』、なかなか面白いってコトです。


少なくとも、ダルタニャンを主人公にした別の日本人作家の
しょーもない小説
『二人のガスコン』よりは千倍ぐらいは面白いです。


でも、根っからの三銃士好きの方には微妙に向かないかもですが。


ミラディやリシュリューが好きな方は、是非どうぞ(笑)。








2007年11月 9日 (金)

いま、会いにゆきます。

話題になった映画は観ておらず、
テレビドラマ版がお初でした。

平日は帰りが遅くてドラマは観れないので、
ここ数年観るドラマといえば大河ドラマと
日曜劇場だけ(笑)。

だから、きっとこのドラマも別の曜日の放映だったら
観ずに終わっていて、そしてきっとこの小説にも出逢えなかったのだと思う。




『いま、会いにゆきます』



ドラマを観て以来、原作を読んでみたかったのですが
近くにまともな図書館ないし(笑)。

いつまでたっても単行本でしか発行されないし。


ただひたすら、文庫に降りる日を待っていたのですが、
待った甲斐あって、今月の新刊として文庫に降りたこの本を
火曜日の夜にようやく手に入れました。



以前に読んだ小川洋子さんの『博士の愛した数式』に似て、
活字から溢れてくるのはとても静謐な世界。

純粋で、淡く、どことなく透明感に溢れていて
美しい一幅の水彩画のよう。
吹けばあっという間に散ってしまう桜のようでいて、
いとも簡単にくずおれてしまいそうなのに、
しっかりとした輪郭を持って、確かにそこに存在している。



小説は、ドラマと幾分設定や筋が違ってました。
まぁ、ある意味当然でしょうが。


どちらも好きだけれど、ドラマに出てきた隣家の
気の良いケーキ屋さんの夫婦が小説にいなかったのは、
とても残念。

何気にあの夫婦がとても好きだったので。


で、ドラマで一番好きだったシーンも、小説にはありませんでした。

ちょっと、残念。


それは、自分がもうじきまた愛する二人(夫と息子)の前から
姿を消すのだと悟った彼女が、また6歳の息子の為に
彼が二十歳を迎えるまでの誕生日カードを用意し、
隣家の夫婦にそのカードを彼の誕生日の日に、
一通ずつ渡して欲しいとお願いに行くシーン。


とまどう夫婦を前に、お願いしますとやるせない、
とても切ない笑顔で頼む澪ちゃんを観て号泣しました・・・。


映像もすっごい綺麗で。


夏を迎えようとして生命力を発揮して、萌える緑をバックに、
死を予見して、頼りなげに、それでも微笑む澪ちゃん(ミムラ)が
ほんと、切なかった。



小説に、このシーンはなかったけれど。


それでもやっぱり、愛しい人と再会できた喜びを得た後で、
その人を二度も失う運命にある巧くんを思うと
澪の幽霊(だと彼は思っている)と二度目の恋を積み重ねて
いく行程とかが、それだけで涙ものでした。


で、今日は合唱団の練習帰りに電車の中で本を読んでいたわけですが。





車内で涙してしまいました。




いやぁ、多少の感動とかなら、車内にいて人目を憚るべき
時には、涙腺というのは結構たくましくなったりとかして、
涙が浮かんでも流れることはなく。
ある程度の時間を置けばそれで収まるのですが。



今日は収まらなかった・・・・。




電車の中で、涙をこらえ切れなかったのは
学生時代にやっぱり車内で『レ・ミゼラブル』のラストを
読んで以来かも。




涙がどうにも止まらなくなってしまったのは
澪が佑司(息子)に自分がもうじきまた居なくなってしまうのだと
告げたあたり。


佑司くんは心ない親戚が、澪が亡くなった時に彼に告げた
「あなたのお母さんはあなたを生んだ所為でなくなった」
という言葉を信じていて、きっと彼女が亡くなってからずっと
重いものを心に抱えていたのだと思う。



そんな彼が澪に「ごめんなさい」と何度もあやまる。


ぼくのせいでママが死んでしまったと。


知っていたら、もっと良い子にしていたのに、と。


だから、ごめんなさいと。


ずっと、ママに謝りたかったと。


澪は当然ショックを受けながら、それは違うと彼をさとす。

彼女が若くして命を落とすことになったのは、
決して彼の所為ではないと。

そして、彼女は云う。
「パパとママはあなたと会うために出会ったのよ」と。



あー、もぉ、書いてたらまた泣けてきた(苦笑)。



最後まで読むとタイトルの「いま、会いにゆきます」という
言葉にどれほど多くの、溢れんばかりの愛が込められているかがわかるはず。


まだ読んでない方は是非一度書店で手にとってみてくださいませ。



2007年9月28日 (金)

『皇帝を惑わせた女たち』

7fmkgurm まだ読んでいる途中ですが。
読んでいて面白い部分があって、思わず笑っちゃったので
その一部をご紹介。

著者は藤本ひとみ。

現代を生きている作家の中では、私は彼女が一番好きで、集英社はコバルト文庫の少女小説時代から、彼女の本はほとんど全部むさぼるように読んでたりします。

もちろん、ほぼ全ての小説は私の本棚にあります。
その数はかなり凄いです(笑)。

でも、私をはじめとする今も根強い「藤本ひとみ中毒者」
にとってはしごく自然かつ当然な本棚なんですけどね(笑)。


ほいで、『皇帝を惑わせた女たち』はハードカヴァーで
出版されていた『ナポレオンの恋人たち』がようやく
文庫化されて降りてきたもので、昨日購入しました〜♪


内容は、小説、、、とはちょっと違うというか、
物語ではありません。

いや、まぁ皇帝ナポレオンを取り巻いた多くの
美女(例外で一人だけ醜女もいますが)たちの人生を
痛快な切り口で、藤本ひとみならではの語り口で
物語ってくれているので、ある意味「物語」なのかもしれませんが。



で、軽く面白く、別にこれは藤本ひとみの書き方が
笑えた、、、というのではないのだけれど、とりあえず
自分的には「ぷっ」って笑えたのが、ナポレオンの周りに
惑星のようにいっぱいいた女性の中でも唯一の醜女だったと
言われてしまった哀れな(?)女流作家スタール夫人。

自己顕示欲と、自己愛の塊のような人物だったらしいこの女性は
顔も美しいとはいえない上に、際限なく?太っていたらしい。

裕福だった彼女の両親が彼女を甘やかすあまり
何と彼女は「走る」ということさえ長く知らないまま
育ったらしい。

そんな彼女の結婚相手・・・。


彼の名はエリック・マグニュス・スタール・ホルスタインといい、
多額の借金を抱えた在仏スウェーデン大使だったらしい。


私が笑ったのは、ここ。


ホルスタインですよ、ホルスタイン!!!!!


ホルスタインって、牛の一種でしょ?

このスタール夫人、「牛のよう」とも形容されることがあったとか。
なんだか、運命よね・・・。ぷくく。


あぁ、性格悪くて申し訳ない。

でも、ちょっと面白かったんだもんっ。


あぁ、ちなみに誤解のないよう書いておきますが、
このホルスタイン婦人、、、じゃなくて、スタール夫人は
彼女が一方的にナポレオンに相応しい女性は自分以外に
他にないはず!!!!!!!!

という、すごい信念と自信で持ってナポレオンを追い回していただけで
彼女がナポレオンの愛人になったことは無かったようです(笑)。


で、私が思わず電車の中で笑ってしまったのは
スタールさんの話ではなくて、マリー・ルイーズの方。

マリー・ルイーズとはオーストリアはハプスブルク家の
皇女で、ナポレオンの2番目の正妻です。


彼女は幼い頃、ナポレオンは悪魔のような男だと教育されて
育ったらしい。

無理もない、彼女が幼かった頃にはオーストリアとフランスは
何度も戦いを構え、その度に彼女の父が率いるオーストリア軍は敗走している。
(↑全部、本のウケウリです。はい)

そんな幼かったマリー・ルイーズがあるとき彼女の
家庭教師に質問した。

「お父様は、この頃どうしておこってばかりいらっしゃるの」

これに応えた家庭教師いわく、

「ナポレオン・ボナパルトという残忍な男が、
 ヨーロッパを侵略し始め、悪魔の力を借りて
 陛下の軍隊を破っているからです。
 このナポレオンはコルシカ男で、あなた様の大叔母様で
 フランス国王陛下に嫁がれた王妃マリー・アントワネット様を、
 ギロチンにかけて殺した連中の仲間なのですよ」

from:『皇帝を惑わせた女たち』角川文庫 p116


はい?

なんか、おかしくない?
だって、ナポレオンはマリー・アントワネットのギロチン送りには
関わってないよ??

と、ささやかに思う私を尻目に、藤本ひとみが非常に
冷静に書くには

「この話は、三つの点で間違っていた。

 一、ヨーロッパを侵略していたのは、オーストリアの方である。
二、ナポレオンは、悪魔憑きではない。
 三、マリー・アントワネットの処刑はナポレオンとは無関係である。」


ナ、ナポレオンは悪魔憑きではない〜〜〜〜〜〜っっ(抱腹笑)


そんな冷静にツッコまれると、笑ってしまうではないですか!

え、私だけ??


そんなことはないと思うんだけれどなぁ。

 
まぁ、人それぞれ笑いのセンスやツボというものが
あると思うので。

「それのどこが面白の?」

とか言われちゃうと「はい、終了〜っ」な感じですが。


この本は、いろんなタイプの女性が紹介されていて面白いです。

でも、ある意味みんなしたたか。

まぁ、女なんて、結局のところなんだかんだと結構したたか
かつ、打算的な生物なんだろうなぁ。

つくす女、傲慢な女、ひたすら幸運を願い、待つ女、、、
といろいろいて面白いです。

ちなみに、本の表紙になっているなんとも美しく、
清純そうなのにどこか艶かしい美貌の女性は
この時代のパリで絶世の美女と謳われたレカミエ婦人、
正式名称ジャンヌ・フランソワーズ・ジュリー・アデライド・ベルナール、
通称ジュリエットさん。


綺麗ですね〜。


彼女は、ナポレオンが唯一くどき落とすことが出来なかった女性で
権力にも、財力にも、ナポレオン本人にも屈することのなかった
すばらしく意志の強い女性です。





2007年9月14日 (金)

カラマーゾフの兄弟1〜5

昨年末だったと思うのですが。

光文社古典訳文庫からカラマーゾフの兄弟の新訳が出てから
読んでまして。
昨日、最終巻まで読み終わりました。


なんでも、新聞などによれば今、この新訳カラマーゾフが
注目されているらしく、36万9千部を突破したとか。

でも、今注目を浴びている理由がわかる気がする。

こんな昔のロシア文学に、現代日本にはびこる
心の破綻が引き起こす数々の問題のベースになりうるような
ことが書かれているとは。


1〜3巻中にも目を見張るというか、思わず息を飲んで
読むような部分がありましたが、
あえてここ数日で読んだ部分から引用すると
例えば4巻648ページ。

「(父親が父親としての義務などを怠り、自分の子どもを
  悲しませるなどした場合、それは)私たちの父親ではなく、
 子どもたちの敵であり、彼らもまた、わたしたちの
 子どもではなく、敵に他ならないのです。
 そして、子どもたちを敵にしたのは、このわたしたち自身なのです!」


ほら、現代社会でも問題になっていることの根底にあるものでしょう?


もうひとつ、心に留め置くべきことばが5巻58ページにあって

「何かよい思い出、とくに子ども時代の、両親と一緒に暮らした
 時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で、力強くて、
 健全で、有益なものはないのです。
 − 中略 −
 子どものときから大事にしてきたすばらしい神聖な思い出、
 もしかするとそれこそが、いちばんよい教育なのかもしれません」


ね、親という立場になった人間、なりうる人間、将来なる人間、

みんなにとってよく肝に銘じて、子育てせねば、というより
子育てしていきたいと思わせるような台詞でしょう?


そしてやっぱりドストエフスキーの人間描写、
人間の、心理描写には素晴らしいものがあると思う。

みなさまの中でまだドストエフスキーの作品を
読んだことがない方がいらっしゃれば、是非一度
手にとって読んでみてください。

個人的にはやっぱり「罪と罰」の方がさらに好きですけどね〜。


でも。



光文社古典新訳文庫のこのカラマーゾフの兄弟、5巻だけは
びみょーにいただけません。


何故って、ドストエフスキーが書いたカラマーゾフの兄弟である部分って、1冊365ページ中、なんとたったの63ページ!

それ以外は訳者である亀山氏の書くドストエフスキー人物像と、
カラマーゾフの兄弟の読書手引きてきなもの。


なんか、悔しいというか、騙されたというか。。。。

フツーに、4巻まで物語全部をまとめて収録してくれればいいじゃん。。。

まぁ、ドストエフスキーの生涯を知るのもそれなりに
面白かったけどね・・・・。

 

2007年8月 9日 (木)

読破☆ハリー・ポッター最終巻

というわけで、読み終わりました〜。



いっぱいいろいろ内容に関することを書きたいのですが。


日本語の翻訳が出ていないので。。。


「ネタバレ!!!!!」


って責められてもヤだしなぁ。。。。



とか思いつつ、ちょっとネタバレ気味で書きたいことだけ書きます。


「私はまだ何も知りたくない!!!!」


という方は、どうぞここから先は読まないで下さい。
読まれても責任は負いかねますので、悪しからず。







とりあえず。






ハリー・ポッター全シリーズの根底にあるテーマは
やっぱり「愛」だな、と。



それも、無償の愛。



見返りは、人間だからやっぱりどこかで求めているけれど、
でも自己犠牲ができる、無償の愛。



1〜3巻と違って、4巻からは主要登場人物が
結構ヒドイ殺され方なんかもしており、
本国イギリスでも「子どもに読ませられない!」などと
物議をかもしていましたが。


最終巻はもっといっぱい人が死んでしまう。


それも、殺されてしまう。



確かに、子ども向けではない気もするけれど。




愛は強い。


愛は、時に悪を凌駕できる。



というテーマにおいて、小学校中学年から中学生以上の子どもなら
そのあたりのことも理解できるだろうし、いいんじゃないかなぁ。



本の中には、いろんな人の、いろんな愛がありましたが。


個人的にはやっぱりハリーのママンと、
スネイプの愛に乾杯っ!!!!


って感じ。




しかし、ローリング女史はすごいね。


1〜6巻までに出てきた何気ないシーン。
そういうのが7巻になってようやく意味を持ってきたりとかする。


本当に最初からエンディングを考えていて、
そこに導く為にこのシリーズを書いたんだなぁ、と。


確かこれは彼女の処女作だったと思うのだけれど、
処女作でこれだけの長い物語に、こんなにも沢山の
複線を含ませて、いろんな登場人物に登場する意味を持たせるって
すごいと思う。


ローリング女史にも、乾杯!



2007年8月 8日 (水)

あと70ページ。

ハリー・ポッターの最終巻読破まであと70ページ。

今夜中には読み終えることでしょう。





昨日の夜、読み終えた時には残すところあと100ページでした。

それまでにもかなりいろんなレギュラーメンバーが
デス・イーターに殺されてしまい、哀しかったのですが。。。


今朝、電車の中で読み進んだ30ページだけで
更にたくさんのキャラが死んでしまい。。。。


個人的には特に、是非とも生きていて欲しかった
新婚カップルまで死んでしまい。。。。


最終巻が終わるまで生き残る人ってどれほどいるんだろう?
って感じです。はい。





あ、ちなみに。



先般私が難癖をつけていた「死の秘宝」の訳ですが。

「秘宝」であってたみたいです。



難癖つけてごめんねー、松岡女史。


2007年7月21日 (土)

220万分の1

T4py5kqi 読売新聞によれば、ハリー・ポッター最終巻をAmazonで予約購入されたのは220万部だったのだとか。





ということは。






私のハリーは、220万分の1ということになります。



すごいなぁ、ハリー。




そう、ついに最終巻です。




映画の「ハリー・ポッターと謎のプリンス」は昨日一般公開でしたね。

ちなみに、私は8月5日に友人と観に行く予定。
ハリーの映画は2巻に該当する分を除き、一応全て観ていることになります。





で、わくわくどきどきの最終巻。


これから読むわけですが、どんな展開になるんでしょうね?

事前情報によれば重要な登場人物の内2人が死ぬ予定だとか。

もちろん、本国イギリスほどの熱気ではないけれど
うちの会社にもハリーを原書で読んでいる人は多いので
私を含めた数人でここ数日はもっぱらその話をしていました。


できればハリー、ロン、ハーマイオニーには死んで欲しくないんだけどな。
やっぱり彼らはまだ若いしね。



個人的には以外?な展開でスネイプあたりが死ぬのでは??

とか思っているのですが。


会社の先輩に言わせると
「レギュラー(ハリー、ロン、ハーマイオニー)の誰かだって!」

とのこと。



でも。




スネイプだって、1巻からかなりの存在感を発していて、
本の中では一番不可解でミステリアスな登場人物で。


やっぱり大ドンデン返しの後にさらにドンデン返しがあって
やっぱりスネイプは味方だった?!
的なところで死んでいく。。。。


というセンは捨てがたいのですが。。。。



エンディングにたどり着くまでにどう少なく見積もっても
一月はかかると思いますが。




さぁ、読むぞ、ハリー♪


とうことで、しばらくカラマーゾフとはお別れです。
ハリー読み終わったらカラマーゾフに戻ります。
こちらも実は明日からミーチャ(ドミートリー・カラマーゾフ)の
裁判が行われるところで、かなりの盛り上がりを見せてるんですけれどね。

やっぱりハリーが先でしょ☆



2006年10月 2日 (月)

「オーケストラは素敵だ」

えー、未だ狂いっぱなしな私ではありますが。

隣に例の新聞記事を置いているので、
どうしてもPCの画面を眺めているだけのはずなのに
顔が笑ってくるんですが。

でも、ちょっと頑張って(?)別のネタ。


先日も日記にちょこっと書きましたが。
「オーケストラは素敵だ〜オーボエ吹きの修行帖」
by 茂木大輔(現役NHK交響楽団オーボエ奏者)、

いいんだか、悪いんだか。。。

面白いネタもあるので、否定をする気はありませんが。。。

くだらないことも多すぎ(?)
特に、「交響曲/六十四のシンフォニー」の章なんて
何が言いたいのか皆目理解不可能。

その章以外にもそれをここに書いて、あえて本と言う
ある意味ご立派なものに仕立てあげている価値がどこに
あるのかはなはだ疑問な内容も多い。

しかも、前にも書いたけど、誤字脱字、多すぎ。
そして、今日はそれ以上に問題な一文を発見してしまった。
これ、編集者これでいいの?
ねぇ、本にして発行して良かったの??

何が言いたいかって、本文153ページ。
海外から来日した指揮者に日本の水道水を勧める英文が
カタカナで書かれているんですが。
「ジャパニーズ・ウォーター・テイスト・グッド、
 エニワン・ドリンクイット」


え・・・・「エニワン」???!!!

これは、、、N響の事務局のかおりサンが英語ができないって
いうことを伝えたくて、わざわざ「エニワン」なんだろうか?

それとも、茂木さんが単純に間違っただけ?

多分、後者だと思うんだけど。。。

だとしたら、校正する人とか、いなかったんだろうか??

それともやっぱり本気のギャグなんだろうか??

いずれにせよ、その英語が間違っているといことに
気がつけない、中学入学前の子供だって手にとって
読んでいるかもしれない本で、こういうのは良くないと
おもうなぁ〜。

間違っているってことを明確に表記してればいいけどさぁ。。。

2006年7月29日 (土)

「ベロニカは死ぬことにした」

Inlrqxec この前の本をかなりの努力でもってやっと読み終えたので(苦笑)。3日前にまた本屋に行って、なにか面白そうなものはないかと物色。

なんとなく、手に取ったのが「ベロニカは死ぬことにした」byバウロ・コエーリョ。
写真は言うまでもなく、その表紙ですね。

興味深くもあり、面白い(?)本でした。
こういう、メンタリティの問題(?)をテーマとしている本は好きです。
何の苦も無く、がんがん読み進んで、本日夕方に読破。

個人的な意見として、人はだれでも精神異常(、、、
というとちょっと語弊があるかもしれませんが、
他に言葉も思い浮かばないので。。。)者にもなるし、
ちょっとした切っ掛けで簡単に犯罪者にもなってしまう、
というのを常々思っているので。

こういう本、よく読みます。

フロイトの精神分析の本とかも昔買ったのですが。
内容がやっぱり一般向けだけど、ちょっと難しくて
読破はできませんでした。
まぁ、中学生だったしね、当時は。
今読めばまだ少しは理解できるかしらん??

まぁ、それはさておき。

この本は、中にいろんな主題があるんですが。
一番私が感じたのは、やっぱり「自我が抑圧される」
というのは、生きるうえで人格を形作り、その人の
人生を送るのにものすごく負の影響を与えてしまうんだな、
ということ。

典型は、両親の愛情という名による「抑圧」。
親が望むような「良い子」であろうとがんばる人ほど、
人格、というか人生?が歪みやすいみたいです。

幸か不幸か私自身は早くから落ちこぼれっぷりを
発揮していたので、親から無謀な期待を押しつけらもしなければ
親にとっての「良い子」であり続けようなんて
殊勝なこともあまり考えなかったので、かなり
自由奔放に生きており。
この本のなかでいうところの「正常な人」が思い描く
「狂人」なわけですが。

精神分析とか、ある意味こどもに対する教育の姿勢とか
への興味のある方は読んでみてください。

「あなたのためを思って」
というのが、実は多くの場合発言した人間のことを
一番に考えての言葉だってことをイヤというほど
思い知らされます。

そして、だれもが主人公で自殺未遂者のベロニカに、
多重人格者のエドアードに(本当は正常者ですが)、
パニック障害のマリーのように、鬱病のゼドガに
ほんのちょっとした「はずみ」でなってしまうのだと
実感できると思います。

そして、それらは人生に正面切って向き合うという
選択肢を選んだ時に。
闘うことを怯まなかったときに、
実は自分の意思で克服することもできるのだということも。



2006年7月27日 (木)

睡眠導入剤?オネーギン

Hqcoazil タイトルだけで購入して、後から微妙に後悔したパターン。「エヴゲーニィ・オネーギン」byプーシキン。

あ、余談ですが、今朝の新聞で「後から後悔する」という日本語はおかしいという指摘がありました。
なるほど、確かに!
28年間使ってきて、初めて気がつきましたが意味が二重になってますね。
でも、多分一生直らないとおもいまふ。。。

で、プーシキンの「エヴゲーニィ・オネーギン」ですよ。

チャイコフスキーがオペラにしているこの作品。
オペラを観たことはありませんが、まぁ話の種に内容ぐらい知っていたいな、
程度で購入しました。

ロシア文学は比較的好きなほうだと勝手に思っていたのですが、、、

眠い!!!

たるい!!!

韻文小説は私には向かないのでしょうか?

物語なんて、ようやく少し動きがでてきたと思った途端に
終焉を迎えます。

ようわからん。。。

いや、なんとなくプーシキンが伝えようとした、
世の摂理というか、真理というか、なんというかって
ものはうっすらとは分かったのですが。

う〜ん、場面がいっぱいあって、こんな長大作を
どうやってあんな短いオペラや映画にするんだっ?!
なんていう、疑問は一切浮かびません。

観たことないので、なんとも言えませんが、
恐らくは、出演者が一人ずつ、長いアリアなんぞを
半ば棒立ち状態で歌ったところで、
物語はきっちりとその時間内に終わるだろーな、
という感じです。

だから、多分「韻文小説」として楽しむのには
良いのだと思われますが。

ちなみに、ストーリーはというと、浮世に嫌気が差して
若干排他的になっている若者が自分の田舎の領地で
詩人(?)の友人を得ます。

この詩人は隣村のオルガという少女に恋をしており、
主人公のオネーギンにオルガを自慢したくて、
彼女の家に招かれた折にオネーギンも連れて行きます。

すると、このオルガの姉のタチャーナがオネーギンに
恋をするんですね。
で、心の内をかなり純粋に、でもかなり押し付けがましく、
オネーギンに手紙でもって告白するのですが、
そういった恋愛ごとなんかも鬱陶しいオネーギンは
ちょっともっともらしいことを説教しつつ、
タチャーナの気持ちには応えられないと言います。

で、しばらくたったある日、詩人のヴラジーミルが
また陰鬱な気分に浸り、騒がしいこととは無縁で
ありたいと願っているオネーギンをオルガ達の家での
どんちゃん騒ぎにひっぱって行きます。
で、オネーギンがその腹いせにちょっと、オルガに
ちょっかい出します。
といっても、ほんとうにちょっとしたことで、
少しばかり気のありそうなそぶりをしただけなんですが。

ところが、ヴラジーミルはそれに逆上。
オネーギンに決闘を申し込んであっさり
返り討ちに遭い、死に絶えます。

半年もするかしないかでオルガには別に恋人ができて、
結婚。姉のタチャーナもいつまでも失恋引きずるわけにも
いかず、ある時モスクワで知り合った男性と
親を安心させるために結婚。

ところが!
結婚して、2年もしたころにオネーギンと再会。
再会したオネーギンは今度は自らタチャーナに恋をする。
それも結構「恋狂い」的恋。

でも、分別のあるタチャーナから、まだあなたを愛しているが、
私は結婚した身なので、あなたの気持ちには
応えられない、、、

と言われ、今までの人生やら、現実やらからいろんなものを
オネーギンが悟って、物語は終わり!

ちなみに、今私が書いた内容は小説が約1/3ほど進んだ
ところで、ようやく進展した内容。
ここまでは、実にたらたらと登場人物の人となりやら
思想的なことやらが書かれていて。。。

まぁ、内容は悪くないのですが、
とにかく、とにかく眠くなってしまうので
なかなか読み進められませんでした。。。


2006年7月11日 (火)

いい本が

無いなぁ。。。

流石に7月も半ばに近くなり、仕事も若干の
落ち着きを見せ始め、今日は特に予定があった
わけでもなく、普通に18時過ぎに仕事を終え、退社。

何かいい本はないかととりあえず本屋に立ち寄ってみる。
最近、いい本に巡り会えてないかったので。。。

先月買った私の大好きな藤本ひとみの新刊『鎌倉の秘め事』は
藤本ひとみとは思えないほど駄作に近くて、すごく残念。
今回は文庫に降りてきていて、元々ハードカバーの
本で、タイトルもなんと、元は『変態』だった。。。
確かに内容はかなりハードに変態だった。。。

というか。
もう既に『公爵サド』と『公爵サド夫人』で書かれたのと
同じテーマだったからね。。。
新味もないのに、この類のテーマをあえて現代に舞台を
移して書くことになんの意味があったのでしょう??

あ、一応、念のために言っておきますけど、
「変態な人間」がテーマだったんじゃないですからね。
内容は変態に限りなく近かったけど。

基本的なテーマは自我が抑圧された人間の
人格形成がいかに困難なものか、というようなこと。
だから、テーマそのものは悪くないんだけれど。。。

とりあえず、初めて藤本ひとみの本に対して
「買うほどのことはなかったな。。。」
と思ってしまった、かなしい本でした。。。

で、その前に読んでたのが人気の『ダ・ヴィンチ・コード』。
これは、前にもここに書いたけど、途中までは確かに
面白かった。
でも、ラストがイマイチだし、心に残るセリフとかも
なぁ〜んにも無い。
赤川次郎の本とそんなに変わらない。
これも、あえて買うほどの本ではなかったかな〜と。

さらにひどいのは『二人のガスコン』これも前に
書いた気はするけれど。。。

ダルタニャンをあんなみじめったらしい、くだらない、
取るに足らないような情け無い男として描写するなーっ!!
って感じで。。。

あぁ、なんかさ、こう、もっと読んでて楽しい本、ないかな。

それでいて、心に深く響くようなセリフとか、
生きていく上での指針となるような、真実が
ちりばめられているような、本。

帰りに寄った本屋には興味が持てる本が残念ながら
無かったので、そういえば買っただけで読んでない本とか、
結構家にあるよなぁ〜と思いながら帰宅。

さっしょく本棚を物色してみたけれど。。。

目に付いたのは『カラマーゾフの兄弟』

・・・確かに真実はいっぱいだけれど、今は読みたくないわ。
ちょっと、重すぎる気が。。。

『指揮者・大植 英次』

・・・大植先生のこれまでの機軸は知りたいから、
読みたいんだけれど、、、なんか、文章がイマイチなのよね、
この本。『僕の音楽武者修行』みたいに面白かったらいいのに。。。
あ、大植先生の名誉の為に言っときますが、
執筆したのは大植せんせいじゃないですから。
本人が書いてたらもっと面白かったんじゃ無いかな〜?
もっとも、その場合、熱くなり過ぎて文章が破綻とかしてそうなイメージだけど。
(注:ほんっっとーに、勝手な一方的なイメージです!!)

『ドン・キホーテ』
これもなんかあまりに支離滅裂で途中で読む気力なくしたのよね。。。


などなど、で。

あぁ、やっぱり家にもなんもない!!!

なんか、いい本ないかなぁ〜。。。。

2006年3月20日 (月)

読破!ダ・ヴィンチ コード

読み終わっちゃいましたぁ、ダ・ヴィンチ・コード。

エンディングはちょっと盛り上がりに欠ける気も
しなくもないですが、、、。
何だろう、扉のところにこれは「事実だ」と
書いてしまっている手前、流石にマグダラのマリアの
墓を暴くことはできなかったわけね。。。
みたいな。
そりゃそうだよね。
そんなことしたら現代科学ですもん、DNA鑑定だって
しなくちゃいけなくなるし、シオン修道会が実在し、
イエスとマリアの子孫が現代も生き続けているとしたら
それを科学的に立証しなくちゃいけなくなるしね。

「導師」が誰であるか、また導師との駆け引きぐらいまでは
かなり引き込まれたんですが。
ラストは「なぁんだ。やっぱりね。」で終わっちゃいました。
感動できるものや熱くなるものはなし。

知識はたっぷり吸収できた感じですが、
物語の内容によって得られる感動とか、純粋な感情とか
だと先日読んだ「博士の愛した数式」とか、
ブログを開始する前に読んだので感想などは
アップしていない藤本ひとみの「聖女ジャンヌと娼婦ジャンヌ」の方が断然好きかなぁ。

まぁ、でも久々のある種推理小説だったので。
自分の推理や予想が当たった時の快感さってやつは
堪能させていただきました。

まぁ、少なくとも去年読んだ「二人のガスコン」よりは
よほど良い。
「二人のガスコン」、、、ダルタニャンが主人公だったので
思わず買って読みましたが、あれほどラストまで読んで
「駄作じゃないの?」と思った小説はありません。
ついでにお金を払って本を購入したことを悔いたこともありません。
近々古本屋に売られて行くことになるでしょう。。。
哀れなり。
っていうか、私のダルタニャンをあんなみじめったらしい
情けない男として描写するなぁっっっ!!!
きっと全国のダルタニャンファンが不快に思ったに違いない。

2006年3月19日 (日)

突入・ダ・ヴィンチ・コード<下>

今日から下巻を読んでます。
だんだん止まらなくなってきますね。
でも、本を読むペースは遅いほうなのでようやく
下巻に突入したところです。

キリスト教に興味があるので、本を読んでいると
どんどん「えっ!」という展開と「あぁ、そうか」と
納得できる展開と・・・とにかく興味深い話がいっぱい。

それに、ストーリーも意外な人物が意外なところで
絡み合って敵と味方が複雑に絡み合ってきてます。
そんなところで繋がりがあったなんて!みたいな。
でも、伏線の引き方は「ハリ・ポタ」の方が上手かな。

私は上巻を読んだときにコレ警部補が導師なのでは?
と思っていたのですが、残念ながら予測は外れました。

さぁ、クライマックスに向かって読み進むぞ〜。
(明日の帰りの電車の中で、、、ですが。)

2006年3月15日 (水)

流行の「ダ・ヴィンチ コード」

未だ読んでる途中ですが。
こちらも文庫に降りてきたので、早速購入。
小川さんの小説「博士の愛した数式」を読み終えて直ぐ
だったので、文章の流れがものすごくでこぼこして、
歪な感じがして、しばらくは戸惑いましたがあっという間に
物語に引き込まれました。

いやぁ、面白い。
まだ「上」を読み終えたところで、明日から「中」に
突入するわけですが、、、謎解きも面白ければ
スピーディーなストーリー展開、そしてなんと言っても
ソフィー・ヌヴーの頭の切れ具合に惚れ込みました。

私、一応大学では美術史も学びましたしね。
(ついでに専攻はこれでも一応音楽史だったりします。)
黄金比率とか、そういえば習ったなぁ、なんて。
もちろん、この黄金比率は音楽史でも習うのですが。
象徴学なんかも好きで、そういう授業も取っていました。

ダ・ヴィンチが実は同性愛者だったのでは、とか
その他ダ・ヴィンチに関する知識は藤本ひとみ先生の
小説でちょくちょく出てきていたので、それらが
話の中に出てくるのも自分としては面白いし。

それに何より、昨年、「ダ・ヴィンチ コード」の
特番みたいなのを観ていてシオン修道会に関する知識も
事前にあったので、物語を読み進めるうえでちょっと
アドヴァンテージもあった気が。
だって、知っていればなお更ロバート・ラングドンや
ソフィーの会話がわかり易いでしょ。

そんな訳で、結構没頭できる小説です。
続きが楽しみだ。

外出がある程度制限されて、歌えない日々が続いているので
殊更すばらしい現実逃避ができてる気がします。

2006年3月 9日 (木)

博士の愛した数式

またカテゴリー増やしてしまいました。

数学はおろか、算数さえも分からず、数字も苦手な私ですが
数学者を題材にしたものは何故か結構好き。
で、ちょっと興味を持って小川洋子さんの「博士の愛した数式」
を読んでみました。
ちょうど文庫に降りてきていて、手ごろなお値段だったのも
購入の決め手だったりはしましたが。

とてもやわらかくて、優しくて、真実がいっぱい詰まっている
感じ。そしてなんと言っても表現が美しい小説でした。

不思議なことに全編を通して登場人物の名前が
一切出てきません。
主人公の名前も分からなければ、容姿などを想像するにも
ほんのわずかな情報しかないのです。
それでも、自分なりの人物像がちゃんと構築できるからすごい。
主人公は自分のことは「私」としか表現しないし、
その息子は主人公のことを「ママ」としか言わない。
彼女の雇い主も彼女が仕える相手も彼女のことは
「家政婦さん」としか呼ばない。だから、氏名はわかりません。

主人公の息子の名前もでてきません。
全編通して、博士が彼に与えたあだ名「ルート(√)」としか
記されていないのです。
主人公も自分の回想の中でさえ息子のことを「ルート」と呼びます。

そして主人公が仕えた相手は皆から「博士」とだけ呼ばれています。
固有名詞が一切でてこない小説ってめずらしいなぁ。

それで、この小説、題材はとても切ないものだし、
内容も心を締め付けられるような個所が多いのですが
不思議とセンチメンタリズムに浸ることもないのです。
多分、活字から伝わってくるものがとてもあたたかいからかな。
小説の中で数字がとても素敵に描かれていて、ひとつひとつの
数字がちゃんとした意味を持ち、いろんなことを伝えているように
本の中の活字がこれまでにないくらいいろんなことを
伝えてくれる小説でした。

小説の中で博士は家政婦さんやルートくんにいろんな
数学・数字の神秘を教えてあげていて、それらは
とても分かり易く解説されているはずなのですが、、、
すでに「素数??ってなんだっけ?」というくらい
脳みそが機能していない私にはやっぱり数学の部分だけは
理解ができませんでした(爆)。

ちなみに、数学や数字というのは本当は音楽においても
とても重要で、音楽と数学は非常に密接な関係にあります。
だから、数学を理解できない私は本当は音楽を楽しむ
資格がないのではないかと時々思えて哀しくなることも。
3度と5度の音のこととか、ピタゴラスの定理が音楽史にも
でてきたりとか、、、本当に音楽を理解しようと思うと
とても大変です。

また、今回小説の中で「0零」について言及されている
個所がありました。
「ゼロ」という数字がいかに素敵な数字で、数を表す
ものなに、その数字自体は数を持たないことの神秘。
で、ちょっと思ったのが「音」もそれに似ているな、と。
だって、例えば、「静寂」という無音のなかにも
やっぱり「音」が存在している不思議、とかね。

それはともかくとして、とてもとても素敵なお話でしたので
未だ読んだことの無い方は一度書店でページをめくってみて
ください。
きっとこの小説のもたらす不思議な「居心地の良さ」の
虜になって、思わず購入しちゃうと思いますよ。